先日の日曜日(2月23日)、
名古屋市内の中心部で、車が歩道につっこみ
13人もの人が重軽傷を負うという事件が発生しました。
車を運転していた容疑者は
「殺すつもりでやった。誰でもよかった」と
供述していることから、意図的に行ったことが
明らかなため、「事故」ではなく
「事件」と報じられていますね。
この事件、聞いた瞬間はやっぱり恐ろしさが
まず来ましたね。
自分は関西在住ですが、この事件は関西でたとえたら
梅田とかなんばとか、そういったところで
起きたことになります。
東京の場合だと渋谷だとか東京駅周辺とかに
なるんでしょうか?
そんなところで車が突然突っ込んで来たら…。
地獄絵図が待っていたことでしょう。ぞっとします。
そして、同時に
「なんて身勝手きわまりない人間なのか」という
犯人に対する憤りと
「こんなことをされても、自分たちとしては防ぎようが
ない」という茫然とするしかない気分に
されてしまいました。
ニュース番組とかで報じられてますが、
犯人は無職だったとのこと。
そこでよく比較に持ち出されるのが
秋葉原の歩行者天国で起きた殺傷事件。
この犯人も無職で社会への復讐として事件を
行ったことが報じられていたのを覚えてませんでしょうか?
実は心理学的には、たとえば無職が長く続き、
就職がまったくうまくいかないことばかり続くというような
挫折した状態が長く続いてしまうと社会への反発心・復讐心
というものが湧くことがあるそうです。
「どうして自分ばかりこんな目に」
「自分ばかり悪い目にあってるから、自分が悪いことを
しても許される」
そういう心理になってしまうことがあるそうです。
そんな心理を持っても、行動に移す前にストップを
かけてくれるのが、やはり家族とか友達などの
存在でしょう。
悩みを打ち明けたり、多少の愚痴をこぼせたりするような
人たちの存在でしょう。
彼らにはそんな人たちはいなかったのでしょうか?
もちろんこれらの事件で最も悪いのは犯人たちであり、
彼らに同情の余地はまったくありません。
ただ、心を打ち明けられるような人がいないという
人がまだ多く日本にいるのであれば、
このような事件がまた起こってしまうのではないかという
懸念がどうしてもぬぐいきれません。
決して遠い出来事、自分たちと関係ない出来事と
片づけられない気がしてなりません。
Macshopスタッフの今日のブログは
ちょっと思うままに書いたのでまとまりに欠けて
読みにくいかもしれませんが、お許しください。